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レット・イット・シット (4)

池袋駅で電車を乗り換え、自宅へと向かった。僕は道すがら一番ラクな職業について考え続けた。夕方には帰れることがラクの代名詞かと思ったが、自分の働きたい時間に働ける仕事がもしあれば、それが一番ラクかもしれないと思い直した。

できれば人と関わらない仕事がよい。自分の好きなことを、そのまま仕事にして、遊ぶように働き、休みたいときに休む。好きな食べ物を食べ、住みたい場所に住み、誰からも干渉されない、わがまま放題の環境で暮らす。

そういう生き方ができるのは、小説家のような気もする。小説家の知り合いもいないし、小説家が毎日何をしているかまったくわからないが、小説家は自由だろうと思った。原稿をファックスで日本に送り、パリのカフェで昼からワインだ。

それに小説家って、響きがかっこいい。フリーランスとか、デザイナーとか、何をしている人かよくわからない、そのよくわからないところがカッコいい。そう呼ばれたい。

帰宅して夕食を済ませると、パソコンを起動し、ワードを開いて、小説家になる方法について調べた。まず、何か賞を奪る。もしくは、自らの原稿を出版社に持ち込むことから始めるのが筋道らしい。やはりここでも賞だった。誰かに認められなければ、かっこいい職業につくことはできない。

僕はいくつかある公募の中で、エッセイコンテストという、あまり枚数も必要なく、過去の受賞作品もライトな感じのものを選んだ。エッセイスト。なんか軽い。ラクそう。

しかしこれが書いても書いても進まなかった。何を書いても恥ずかしい。赤裸々な自分のことを書くのは恥ずかしかった。創作ならいけるんじゃないかと思ったが、創作はもっと難しく、何から書き始めていいのかわからなかった。

翌日、佐藤さんから電話がかかってきた。アルバイトとして活動し始めるのは、11月頃からになりそうだから、それまでは事務所に遊びにきたりして、勉強してねと言われた。

ありがとうございます、がんばります。

といいながら、勉強か、と思った。

突然、インタビューの仕事が大変そうに思えてきた。

いや、大変なのだということを理解した。

カタカナの人達は、みんな勉強している。

ホント最悪だ。文章を書くのはラクじゃない。

でも、自分が作った文章が世の中に出る。

それってなんかカッコいい。がんばる。

僕の中の怠惰を、名誉欲が上回った瞬間だった。

<川辺 洋平>

サヨナラホームラン #6

電話をしながら、いつの間にか逗子駅に向かって戻っていた。高木さんとの電話で、もっと強くなりたいと言って、自分でもそうなのか、と思った。常に前向きな発言をしたい。いつでも外見は綺麗にしていたい。それは強くなりたいということとはむしろ逆かもしれない。

逗子駅の改札を抜けながら、このあとどうしようかと考えた。

どうなりたいんだろう。

どこを目指せばいいのだろう。

今、私は人生のどのあたりにいるのだろう。

仕事ができる女性には、なれたかもしれない。でもこの先に、望むものがあるとは思えない。私の望むものは、子どもを産み、母親になるということだ。私に生まれる子どもの事情など考えもせず、私の事情としては、子どもが産みたい。

どうして子どもを産みたいという望みのために、こんなにも人は傷つかなければならないのだろう。子どもを生むことは、本当にしあわせなことだと言えるのだろうか。私にとって。

ほとんど人の乗っていない横須賀線の椅子から伝わる温度がパンツスーツ越しにふくらはぎを暖めている。間もなく電車はこのホームを離れて、東京に向かって走り出すだろう。

逃げても逃げても、私は東京に連れ戻される。

<五日市 伴>

森のニキニキ #04

むっくり起き上がると、テーブルの上には、ジューシーな青虫をはさんだ、うまそうなサンドイッチが置いてあった。

「ありがとう、ニキニキ。それで、その、トロールの話は…」

俺がトロールの話を蒸し返そうとニキニキに話しかけると、

「おっと、その話はまた今度だ。」

と言って、ニキニキは前足を大きく上にあげた。

「言っとくがな、トロールってのは、いるし、いないんだ。会うには時間がかかるが、いずれキリムも会うだろう。あんまり相手にしちゃいけないのさ。意味がないんだ。」

俺はサンドイッチをムシャムシャしながら、ニキニキの言ってることを理解しようとしたけど、わからなかった。

「でも、会いにいったんだろ、ニキニキは。」

すると、ニキニキはこう答えた。

「ああ、そうさ。古い友人は、大切にしないとな。」

高橋つばさ 思索の試作品 8

レット・イット・シット (3)

「これで全部かな。ちょっと休んでる人もいるけど。」

小山社長は窓の外を見て、それから大きなくしゃみをした。

「次はいつ来たらいいですか?」

「あ、えーとね、また電話する。予定決まったら。」

「はい。あと、ここに遊びにきてもいいですか?」

「いつ?」

「いつでも。」

「いいよ。」

僕のデザイン事務所でのアルバイトはこんな風に始まった。佐藤さんと小山社長は、このあと打ち合わせがあるらしく、僕だけ事務所をあとにした。

ビルを出ると、神宮球場に向かって歩く人の流れと出くわした。流れに逆行するように外苑前駅まで歩いて、横断歩道を渡り、BMWの前を横切って、青山通りを渋谷に向かった。

ベルコモンズのある交差点を渡ると、青山通りをはさんで左側に、avexと書かれた大きなビルが見えた。avexには有名なアーティストが所属しているということだけがわかっていて、歌を歌ったり、曲を作ったりする以外の誰かが社員として働いているということが想像できなかった。

野菜を作って売ったり、車を組み立てたりする仕事なら、想像がつく。それ以外の人は、いったい何を売っているのか全く想像がつかないし、どうやって給料をもらっているのか、僕にはわからなかった。

今日のアルバイトは、新人イラストレーターに僕がインタビューをする、という内容で、新人イラストレーターとはすなわち、コンペという目的のないイラストを、偉いイラストレーターがうまいとか下手だとか優劣をつけた結果、よいとされた作品を描いた人のことを指す。

絵の善し悪しは、どうやって決まるのか。僕にはわからない。受賞するまでは新人なのだろうか。賞を受賞していなければ、仕事ができないのだろうか。僕にはそれもわからない。

「クーポンをお配りしています。」

マクドナルドの前を通ると、店員がクーポンを配っていて、僕はそれを手に取って、眺めながら歩いた。月見バーガーのバリューセットが安くなるクーポンがついていて、僕はこのクーポンのことを知らずに月見バーガーを食べることと、このクーポンを使って月見バーガーを食べることとの損得を考えた。

宮益坂の途中にある郵便局の前で横断歩道を渡り、渋谷駅へのコンコースに入った。コンコース内で東欧の子どもたちを救う活動をしているボランティア団体の人が、募金箱を片手に演説をしていた。

東欧では民族紛争が起こっているが、東京ではハンバーガーのクーポンが配られている。僕は東欧の子どもたちのための活動をしている団体が配っているチラシは手に取らなかった。

山手線は回転寿司のようにプラットフォームにやってきた。

帰宅ラッシュの電車には、人がツナのように詰まっていた。

イヤフォンを耳にあて、世界からログアウトした。

この夏、佐藤さんの自宅で習ったAdobeのソフトを使って、絵を描いたり、写真を加工したりすることを覚えた。ベジェ曲線のベジェ、の意味はわからないが、曲線を操作することは難しいことではなかった。あれが、デザイナーの仕事なのだろうか。

カタカナの肩書きは素敵だ。クリエイターは、紙とペンとアイディアがあれば、金が稼げる。かっこいいし、ラクそうだし、いいな、と思った。

大学に入ってから、写真部に入った。個人活動で、あまり人と関わらなくてもよさそうだったので入部した。カメラは持っていなかったし、フィルムカメラにフィルムを入れる方法もわからなかったけど、先輩がフィルムの入れ方、巻き取り方、現像液の作り方、露光、定着、乾燥まで、手取り足取り教えてくれた。人と関わらない部、ではなかった。

写真なら撮れる。いい場所で、いい被写体を、少し構図を考えながら、光を意識して、シャッターを押す。でも、カメラマンにはなれないだろう、とも思った。カメラマンになるには、きっとそういう専門学校を出ていなければならないだろう。専門の学校を出たあとはきっと、フリーで仕事をもらったり、有名なカメラマンのアシスタントになったりして、グラビアアイドルを撮ったり、地元の写真館で家族の記念日を撮ったりするにちがいない。写真部じゃ、こころもとない。

文字ならどうか。

文字なら、やはり文学部だろう。僕は教育学部だ。本も読まない。小説を書いたり、雑誌の編集をしたりするのは、文学部卒なのではないだろうか。

絵もだめ。

美術の授業は高校でも選択しなかったし、うまく絵を描く方法がまったくわからないまま二十歳を迎えた。Adobeのソフトを使えば、きれいな線が描けて、色も綺麗に塗れる。そういう職業につく人は、専門学校を出ていたり、美大を出ていたりするはずだ。

僕の目の前には、ただひたすら、教員になる道が続いていた。公務員になれば、将来は安定しているし、早く帰れそうだし。とにかく不快なことを避けたいと思った。ラクがしたかった。それでいて、世界に影響を与えたいと、心の底では思っていた。

代々木駅で乗ってきた女性の吐息は、うんこの臭いがした。

<川辺 洋平>

俺は驚いたね。その名前をきいただけで、めまいがした。
「トロール!」
だってトロールがいるなんて、嘘っぱちだと思ってたんだ。
「ニキニキ、トロールに会ったのかい?一体どこで?」
俺は頭の中が質問でいっぱいになっちまった。頭から煙が立った。
「おや、キリムはトロールに会ったことがないのか。」
そう言ってニキニキはコケモモ茶をぐいと一口すすった。
「どこっていうのは特に決まってないな、トロールは。」
「どういうこと?どこにいるかわからないってことかい?」
「そうだな。トロールは、ついてくるんだ。」
「なんだって!ついてくるのか?トロールが?」
俺は毛むくじゃらの巨大なトロールがついてくるのを想像した。
「ああ、ついてくる。僕らと同じすがたをしてね。」
「なんだって!同じすがたっていうのは、マネするってことかい?」
「そうだ。僕が会いにいけば、僕にそっくりなトロールがついてくる。」
「なるほど!トロールっていうのは、変身するのか。」
俺はもう興奮が押さえきれなかった。本物のトロールの話さ!
「いや、違う。トロールには姿がないのさ。」
それをきいた時には、俺はもう泡を吹いて倒れちまってた。
だって姿がないのに、どうやってトロールがいるってわかるんだい?

&lt;松江 宙宙&gt;

俺は驚いたね。その名前をきいただけで、めまいがした。

「トロール!」

だってトロールがいるなんて、嘘っぱちだと思ってたんだ。

「ニキニキ、トロールに会ったのかい?一体どこで?」

俺は頭の中が質問でいっぱいになっちまった。頭から煙が立った。

「おや、キリムはトロールに会ったことがないのか。」

そう言ってニキニキはコケモモ茶をぐいと一口すすった。

「どこっていうのは特に決まってないな、トロールは。」

「どういうこと?どこにいるかわからないってことかい?」

「そうだな。トロールは、ついてくるんだ。」

「なんだって!ついてくるのか?トロールが?」

俺は毛むくじゃらの巨大なトロールがついてくるのを想像した。

「ああ、ついてくる。僕らと同じすがたをしてね。」

「なんだって!同じすがたっていうのは、マネするってことかい?」

「そうだ。僕が会いにいけば、僕にそっくりなトロールがついてくる。」

「なるほど!トロールっていうのは、変身するのか。」

俺はもう興奮が押さえきれなかった。本物のトロールの話さ!

「いや、違う。トロールには姿がないのさ。」

それをきいた時には、俺はもう泡を吹いて倒れちまってた。

だって姿がないのに、どうやってトロールがいるってわかるんだい?

<松江 宙宙>

サヨナラホームラン #5

投げたものはいつか、どこかに落ちる。音を立てて落ちているはずの貝殻が、はるか海の手前の砂の上に触れた瞬間の音を聞きたい。そこに音はあるのだろうか。

突然、携帯電話の着信音が鳴った。携帯のモニターに、高木さんの名前が表示されていた。

「はい、竹内です。」

「高木です。ブルーなんですか?」

「はい、ブルーです。全体的に。」

「そうですか。いい天気ですね。」

「そうですね。お仕事中ですか?」

「お仕事中です。竹内さんは?」

「わたし、別れちゃいました。」

「なるほど。」

高木さんは少し間をおいて、会話を続けた。

「ブルーですね。」

「はい。今、目の前に青い空と海があります。」

「他には何が見えますか?」

「老人と、犬と、若い女性と、幼い子どもです。」

「なるほど。社会的弱者に囲まれているんですね。」

思わず、笑ってしまう。

「そういうことになりますかね。」

「そういうことになるでしょうね。」

「そうです。私、つよくなりたいです。」

「なるほど。つよくなりたいんですか。」

海に背を向けて、着た道を戻りながら話した。

「はい。いろんな人に謝りたい。」

「いろんな人に。」

「今まで傷つけたいろんな人に。」

「いろんな人を傷つけたんですか。」

「はい。いろんな人の心をグサッと。」

「グサッと。それは痛そうですね。」

鼻の上のあたりがツンと痛くなった。

「高木さん、お仕事に戻ってください。」

「はい。お仕事に戻りたいと思います。」

「ありがとうございます。」

「最後に、いいことを一つ教えます。」

「どんないいことですか?」

鼻水が出てきたので、ハンカチで鼻の下を押さえた。

「いつまでもブルーではありません。」

「なるほど。」

「夕方にはオレンジになります。」

「たしかに。」

語尾が掠れた。

「ブルー、オレンジ、ブルー、オレンジ、です。」

「はい。」

「吸って吸って、吐いて、です。」

「それはラマーズ法呼吸です。」

「間違えました。また会いましょう。」

「はい。ありがとうございました。」

電話の向こうで、高木さんが携帯電話の通話を終えるボタンを押した。

<五日市 伴>